北条氏康が一国を得ると同義と評した「関宿城」

castle-sekiyado-02千葉県の野田市、その端の端にある城があるのをご存知でしょうか。チーバくんでいえば鼻の黒い部分の一番先端部分にあります。
以前、「歴史好きなら一度は訪れたい関東の城10選」でも軽く紹介しましたが、北条氏康いわく「この土地を抑えることは一国を得ることと同じである」と評したことで有名です。

関宿城とは

1457年に古河公方、足利成氏の家臣、簗田成助が築城したといわれています。
江戸川をさえぎるような縄張りをもっており、関東の水運を押さえる要地にありました。
戦国時代に入ると、土地の重要性から北条氏康が「この土地を抑えることは一国を得ることと同じである」と評し、城をめぐって北条氏と簗田氏の間で戦が起こりました。
簗田側には上杉氏や佐竹氏が援助しましたが、3度にわたる合戦で北条側が勝利しました。

北条氏が小田原征伐で敗れると、松平康元が入場して関宿藩となりました。
1671年には天守が損傷したため、江戸城の富士見櫓を模した御三階櫓が天守の代用として建てられた。
その後は寛保二年江戸洪水や外曲輪の消失、廃城や河川の改修によって多くが破損、変更されてしまった。
埋門と大手門が野田市内に、薬医門が逆井城に移築されて現存している。

現在、旧城とは関係のない場所に御三階櫓を模した関宿城博物館が作られて当時を今に伝えています。

関宿城博物館

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その博物館がこちら。どーん。結構立派なつくりです。
当時のお城と関係ない場所に作ったにしては、小高い丘の上に作られ御三階櫓を模しているなどちょっと手が込んでいます。
個人的には当時のお城があった辺りは市街地になっていることと、河川改修で川の流れが変わってしまっているため、当時の土地の重要性を感じられる場所に新たに建造したのかな、なんて思っています。

門に掲げられた家門は久世氏の家紋。1669年から明治の廃藩置県まで関宿藩主を務めた家ですね。

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御三階櫓の写真。春の終わりごろに撮った写真なので桜が見えます。
どうでもいい話なのですが、似たようなカットの写真がwikipediaにあるのですが、風雲急を告げるみたいな雰囲気がでていてめちゃかっこいいですね。

こうしてみると、天守の代用として使うこともできただろうなというのがわかります。
そして、これが単なる櫓であったという江戸城も相当大きかったであることがわかりますね。江戸城は現在皇居となっており、櫓などその他建造物も多く残されていませんが。。
堀のつくり、規模などとともに御三階櫓も見てみると城の大きさ、荘厳さがイメージしやすくなるのではないでしょうか。

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博物館の裏側。
裏側までちゃんと塀をつくってあって感心しました。
近代の機械的なのがくっついてるのがちょっと残念。どうせつけるなら内側につけてほしかった…。

博物館の中には、お城のことはもちろん、利根川のこと、江戸川のこと、それらを改修してきた歴史。
野田の醤油の歴史や江戸まで運んでいた船の模型やその帆の展示、当時の野田市周辺の人々の暮らしなど見るものがすごく多くて面白かったです。
小さな博物館ですが、確か2時間くらい時間をつかってじっくり見ていたような気がします。

関宿の地勢

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僕としては、関宿はお城そのものよりも地勢がとても重要(お城はどれも地勢は重要なのですが)で、もっとも見所だと思っています。
写真は江戸時代後期の城の所在地と川の流れ。
関東を支える大きな2つの川の支点に存在しており、都市の発展においても、戦略上においても重要な土地であったことがうかがえます。
2本の細い青い線が現在の利根川、江戸川の流れになっています。
当時と近しい地点に関宿博物館が建てられていることがわかります。

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江戸時代当時の関宿模型図。館の人に許可をいただいて撮影させえていただきました。
地図で見るよりも、模型にしてあるとイメージしやすいですね。

今日の発見、気づき

城は天守などの遺構も非常に魅力的ですが、個人的には守りやすさや土地の重要性、商業的な拠点になるかなどの視点で見ることが多いです。
こうした見方をしている人が多いか少ないかはわかりませんが、関宿城はそれらの「土地」という部分を改めて大切だと認識させてくれた場所だったと思います。

おまけ

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関宿城博物館をぐるっと散策していたらこんなエリアが…!!

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