角川まんが学習シリーズ「日本の歴史」読んだ感想④

manga-kadokawa-nihonnorekishi-4角川まんが学習シリーズ「日本の歴史」のレビューもいよいよ10~12巻となりました。
最初のレビューはこちら「角川まんが学習シリーズ「日本の歴史」読んだ感想①」。前回のレビュー記事はこちら「角川まんが学習シリーズ「日本の歴史」読んだ感想③」。
今回は江戸時代中期~明治時代前期の内容となります。いよいよ、現代に近づいてきました。

今回のみどころ

江戸時代には様々な文化、芸術が花開きました。特に上方ではあまり見られなかった民が主体の文化が生まれているところは注目です。
太平の世と言われた江戸時代も中期からは陰りがではじめ、異国との接触によって大きな時代のうねりが生まれて明治へとつながっていく、そんなダイナミックな流れをみることができるのもみどころ。
幕末に活躍した志士や藩が、次代の中心的役割をしていきながら明治ではその志士であった人同士でも敵対し始めるなど、複雑な情勢を伺うことができます。

岩倉使節団の話では、今は当たり前に使っているエレベーターや水道といったインフラも、改めてすごいものだということに気づくことができるでしょう。

花咲く町人文化-江戸時代中期-

江戸時代に入って行われるようになった参勤交代によって、江戸の街には商店などが増え、当時の世界でも最大級の人口を誇る大都市となっていました。
町人文化と呼ばれる文化が形成され、そば、天ぷら、押しずしなど今も口にする料理が発展。江戸時代に食文化が発展して本当によかった。

こうした町人文化の発展した背景には、幕府の政治が落ち着いたことがあげられる。
3代将軍家光の政治では、相次ぐ改易によって武士が浪人となって、盗人となるケースや、由比正雪の乱といった事件が起きていた。
4代将軍家綱の代では家臣の進言をよく採用したことによって世の中が落ち着き、5代将軍綱吉の代では天和の治と讃えられるほどの政治を行った。こうした背景があり、治安が回復し、交通網が整備されたことで商いが活発になり、町人文化の発展に繋がったという。

しかし、綱吉の子、徳松と大老、堀田正俊の死にを経て政治は徐々に傾いていく。
生類憐れみの令によって10万を超える野良犬が保護されたり、小判に銀を混ぜたことで物価が上がり、庶民の生活が苦しくなるなどの自体が発生。こうした中で世に有名な「忠臣蔵」の事件が起きるのであった。

やがて綱吉が亡くなると6代将軍家宣は生類憐れみの令を廃止。それによって捉えられた罪人を開放した。
さらに間部詮房、新井白石とともに財政の立て直しを試みるがまもなく死去。7代将軍の家継も幼少で亡くなった。
8代将軍として選ばれたのは紀伊徳川家の徳川吉宗であった。
吉宗は紀伊藩主の時に、藩の借金10万両を返済するなどの実績を積んでおり、それを見込まれての就任であった。

吉宗は質素倹約に努め、大奥の縮小、さつまいもの栽培を先導、新田開発を行い幕府の財政を安定させた。
幕府の財政は安定したが、その裏では米の流通量の増減によって民衆の貧富の差が出はじめていた。そこに享保の飢饉と呼ばれる不作が重なったことで約1万2千人が餓死したと言われている。
飢饉を受けて吉宗は貨幣を改鋳。これにより米を中心とした取引から貨幣を中心とした取引へと移り変わっていき、物価が安定した。

吉宗の死後は老中であった田沼意次が政治を主導するようになる。
意次は身分の低い出であったため、幕府内には快く思わないものも多かったようだが次々と改革を実施。
日本全土で共通利用できる銀貨の導入や、外国との取引では輸出を大きく伸ばすなど経済の好転に貢献しました。
しかし、在任後期には天明の飢饉がおこり、米価は上昇。
印旛沼の干拓工事も嵐によって失敗すると老中を解任された上に蟄居処分となり、そのまま死去しました。

その後は老中首座の松平定信が寛政の改革を試みますが、すこぶる評判が悪く6年で解任。
解任後は徐々に江戸の街も息を吹き返し、町人文化の集大成と言われる化政文化が花開いていきました。
化政文化では歌麿の美人画や春と秋の相撲、三座の芝居、写楽や葛飾北斎、歌川広重の浮世絵、滝沢馬琴の八犬伝など今でも娯楽や芸術品として親しまれているものが多数生まれました。

化政文化の開花とは裏腹に、定信の去った幕府は財政が悪化していきました。
こうした中、松江藩や米沢藩といった地方の藩では財政の好転に成功した藩もあり、徐々に幕府と地方の藩の力の差は埋まっていくのでした。

黒船と開国-江戸時代後期-

松平定信が解任されてから数年後、11代将軍家斉は贅を尽くした暮らしを行い、世の中は乱れていきました。
そこに天保の飢饉や水野忠邦の失策が重なり、世の中は更に疲弊。
大塩平八郎の乱を招くに至ります。この乱はわずか半日で鎮圧されましたが、元幕府の役人である大塩の乱は全国に波紋を呼び各地で打ち壊しや一揆が相次ぐようになりました。

忠邦は国内を安定させるため、外国船打払令を出したり蘭学者を投獄したりと政治に刺激を与えないような策を展開し、天保の改革を実施。
質素倹約を強く推し進めたため、民衆の不満は膨らみ人心が離れて行きました。こうして改革はわずか2年で頓挫。忠邦は老中を罷免されます。

1853年7月8日、ペリー率いるアメリカ軍艦4隻が浦賀沖に姿を表しました。
開国を迫るペリーに幕府は大きく動揺。水戸藩前藩主の徳川斉昭は開国に断固反対しますが、ジョン万次郎はじめとする有識者は開国を支持。
幕府は結局満足行く答えを出せないままペリー2度目の来航を迎え、日米和親条約を締結しました。これにより長らく続いた日本の鎖国は終了した。

鎖国は終了したものの、幕府内では跡継ぎ問題とともに開国派、非開国派の対立が深まっていきました。
開国してから1年後、アメリカ総領事として赴任したハリスと大老、井伊直弼は天皇の勅許を得ないまま日米修好通商条約を締結。
これによって日本は不平等な条件を受け入れることとなり、以後長く苦しめられることになります。

この頃、日本の下級武士を中心に幕府に対する批判的な思想として「尊皇攘夷」が叫ばれるようになります。
事態を重く見た井伊直弼は吉田松陰をはじめとする反幕府派の人々を厳罰に処分(安政の大獄)。また、政敵となっていた一橋慶喜、徳川斉昭などを蟄居、謹慎処分とするなど思い処罰を下しました。
こうしたことから、直弼は各方面から恨みを買ったため1860年3月3日、桜田門外の変という事件で命を落としました。
幕府は失墜した権威を回復するべく公武合体を試みますが、かえって尊王攘夷派を刺激することとなり坂下門外の変を引き起こしました。

幕府にこうした動きがある中、地方の藩が台頭してきていました。
長州は関門海峡を利用し力を蓄え、薩摩は琉球を通した清との密貿易で力を蓄えていました。
こうした2藩はともに尊王攘夷派でしたが、孝明天皇が公家の三条実美ごと長州を京都から追い出したり、禁門の変で対立したことから犬猿の仲となっていきます。
しかし、2藩ともにその後は倒幕を目的とするようになり、坂本龍馬の仲介もあって薩長同盟が成立。倒幕に向けた動きを推し進めていくこととなりました。
坂本龍馬はこうした同盟の圧力も利用して、幕府に大政奉還させ江戸幕府は長い歴史に幕を下ろしました。

明治維新と新政府-明治時代前期-

徳川幕府の大政奉還から2ヶ月後、王政復古の大号令がなされ徳川が新政府の政治に関わることは許されなくなりました。
これに不服の旧幕府側勢力は新政府軍と対立。戊辰戦争が勃発します。
しかし、最新式の兵器を持つ新政府軍に苦戦を強いられた上に、新政府軍が天皇の御旗を掲げたことで旧幕府軍は繊維を喪失し、新政府軍が勝利。
徳川慶喜は無血で江戸城を明け渡し、実家のある水戸で謹慎となりました。

戊辰戦争の終結後、元号が慶応から明治に改められ、江戸も東京となり、新しい時代がスタートしました。
しかし国も人もそう簡単には変わることができない。民衆は殿様が偉いと思っているし、政府がどういう立ち位置なのかわかっていないものも多い状態でした。
そうした問題を解決するために、藩という区切りをやめ、県を置く、廃藩置県を実施したり、身分制度が崩されたりしました。
平民も苗字を名乗ることが許されるなど意識的な変革をもたらす改革を行っていきました。平民が自分で苗字をつけるエピソードが漫画に描かれているのですが、おもしろかった。

アメリカが徳川幕府と結んだ日米修好通商条約ですが、この条約は日本に不利な条件だったため、改善に向けた取り組みとして海外の視察もかねた岩倉使節団が日本を出国しました。
使節団はまずサンフランシスコへ到着、宿のエレベーターに驚いたり、水道をひねって水が出ることに驚いたりと、大きなカルチャーショックを受けます。
そこからワシントン、イギリス、フランス、ベルギー、オランダ、ドイツと西洋各国を視察して回りました。
使節団はまず日本の国力の回復と、西洋列強への肩を並べるための内政充実が必要だと考えますが、日本に帰国してからは国内待機していた面々と朝鮮出兵を巡って意見が対立。
結果的に明治天皇に2つの意見を提案して、内政を重視することに決定しますが、これを不服に思った西郷隆盛は参議を辞任して帰郷しました。

この後、大久保利通を中心として政治が執り行われますが、利通に権力が集中しすぎたことを懸念した板垣退助は立志社を結成して自由民権運動を展開。
議会を設けて、国民が政治に参加できるようにとの訴えを展開しました。この活動が結実するのはもう少し後の話になります。
内政と平行して国境の設定が進められました。その過程で琉球を日本に組み入れたり、北海道を開拓するなど、積極的に近隣地域へも進出していきました。

その頃鹿児島では、徴兵制で平民に役割を奪われたと不満を持つ士族が、廃刀令によって刀まで奪われたことで不満が爆発。
西郷隆盛をかついで挙兵し、西南戦争が勃発。
この戦争中、病で木戸孝允が死去し、西郷隆盛も戦争中に負傷し自害しました。
隆盛が亡くなったことで戦争は集結しました。西南戦争は日本の歴史では最後の内戦となっています。
戦争終結後、大久保利通も移動中に襲われ殺害されました。
こうして、維新の三傑は相次いで亡くなったのでした。

今日の発見、気づき

幕末、明治維新の歴史を好きな人は概ね知っている内容だったとは思いますが、改めて見てみるとすごく大きな変化があった時代だということがわかります。
少し前までは殿様が偉くて殿様が政治の最高人物だったのに、天皇が偉くて、政治は政府がになっているというのは当時としては変化に対応できなかった人も多いだろうなと思いました。
急速に西洋文明を取り入れた日本ですが、こうした物理的な変化は民衆の心を動かす要因となったのではないでしょうか。意識を変えるのは意識を変えろと言っても仕方がない、ということですね。
13巻~15巻の感想はこちら「角川まんが学習シリーズ「日本の歴史」読んだ感想⑤

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