自分以外の人はすべて他人だと自覚することが大切という話

何年か前から、僕は僕以外の人間を家族であれ恋人であれ友人であれ他人だと思って過ごしているんですよね。こういう話をするとよく誤解されるんだけれど、決して僕がドライな人間だからということではないんです。少し深掘りしてみたいと思います。

端的にまとめてしまうと、僕以外に僕はいないということなんですよね。
僕以外が僕であることは決してないので、どんなに親しくても自分と常に同じ考え方をしてくれる、同じ目線で物を見てくれるというわけではないです。
これを勘違いして、「家族だしわかってくれるでしょ?」「俺たち仲間じゃん?」みたいなスタンスでいると、意見が分かれた時に冷静に判断できないことが多いと思う。で、感情的になって話に収拾がつかなくなる。
受け身でこうなっているうちは自分の中で消化すればいいんだけれど、これが自分が相手に向かってやってしまっていると凄く危険(だいたい無自覚でやってると思う)で、相手の意見ちゃんと聞かないで「あ、それわかります」とか、自分の意見や考えを押し付けたりといった風になってくる。

なので、僕以外の人間は関係性はどうであれすべて他人だということを徹底的に意識するようにしているんですよ。
こうすることで、他の人は僕と違う目線で物を見ているし、感じているし、考えている。僕とは違うし、僕も他の人とは違う。と正しく理解することができるようになります。
ここを理解しないままにしていると、他人との意見をすり合わせるのではなくて意見をぶつけ合うだけになってしまうし、挙げ句の果てにはどちらかの心が折れる要因になると思うんですよね。すりあわない話し合いって疲れますし。
※補足しておくと、話し合いの結果として意見がすりあわないのはOKと思っています。お互いに相手を理解しようとする気持ちが大切よって話。

これは妻にも伝えていて理解を得ている(最初は誤解されて悲しまれたが…)ことで、無意識にお互いに同調してしまっているのはよくないって思うんですよね。
考えかたや視野の違う人が集まることで、適応できる範囲を広げるっていうのが共同体のいいところですし。同調して同じものの見方しかできないのって怖いですよ。

この考え方を持っていたら、以前サイコパスという作品で似たようなことが語られていて共感していた。

人間は心の暗部、うちに秘めた残虐性を正しく自覚することで、それを律する良識と理性、善意を培うことが出来る、彼はそのための啓発として、自らの創作活動を定義づけていた。

芸術家、王陵牢一の作品作りの根幹になっている思想なんですけれど近い物を感じてます。

興味がある方はぜひ。

よりよくお互いを理解するために、自分と他の人をしっかり分けて考えましょう。
という考え方として、家族でも誰でも自分以外は他人ですよというものの見方をしている、という感じですかね。

これもあくまで一つの考え方なので、違うぜ、俺はこう考えてるよ!ってのがあれば、それでいいと思います。
大切なのは考え方の先にある、人との付き合いかたですからね。
他の人の考えかたや、意見も聞いてみたいな〜

少しでもなるほど〜と思ってくれた方がいれば幸いです。