上杉謙信も攻略できなかった関東一の山城「唐沢山城」


こんにちは、お城では天守閣より土塁や石垣が好きなななうみです。
栃木県佐野市にある関東一の山城、唐沢山城に行ってきたので写真とともに紹介していきたいと思います。
なぜ、僕が土塁や石垣が好きかというとこの城を見てから曲輪の構成や石垣の強固さに衝撃を受けたからなんですよね。天守以外はあまり興味ないよ~という人もこれをきっかけに土塁とか好きになってくれたらうれしいな…

唐沢山城ってどんな城?

唐沢山城は平安時代の927年に藤原秀郷によって築城されたと伝わっています。
この藤原秀郷という人物は平将門の乱を鎮圧した人物で、その時の功が認められて従四位下を賜り下野・武蔵の2ヵ国の鎮守府将軍になったといわれています。その時に拠点として気づいたのがこの唐沢山城です。
その後、藤原氏の末裔である佐野氏がこの地を治めますが、戦国時代に入ると関東は北条氏と上杉氏が激しく争う地になり唐沢山城もその戦火に巻き込まれていきます。

軍神と言われた上杉謙信もこの唐沢山城に攻め寄せますが、10回にわたる戦いでついに落城させることはかないませんでした。
唐沢山城はこれにより難攻不落の堅城として名を轟かせ、関東一の山城と呼ばれるようになりました。

その後、江戸時代に入って唐沢山城から江戸城の火災が見えた際にいの一番に救援に駆けつけますが、江戸では上から見下ろされたことが不快に思われたらしく廃城となりました(理不尽…)。
※廃城理由には諸説あり、山城廃止令なるものが発令されて廃城になったという話もあります。
余談ですが天気がいい日は今でも唐沢山城から東京を一望できるそうですよ。

明治に入り、旧臣によって唐沢山城に神社が建立されて今日に至ります。

ちなみに唐沢山城はニッチな歴史ファンには有名かもしれませんが、詳しく知りたい方はこういった本を見てみるとよいかもしれません。

唐沢山城を歩く

今回、唐沢山城には車で行っていて山頂付近まで一気に登りました。
三の丸近くに駐車場があるので、そちらに車とをめて唐沢山城へ。駐車場から歩いてすぐのところに、レストハウスなどの施設があります。
その脇を抜けて歩いていくと唐沢山城の防衛施設が見えてきます。

くい違い虎口


ここは山頂にある城の入口で、敵が攻め入った時に直進して進めないようにかぎ型に曲がりくねっている入口です。
方向転換するために一度進軍速度を落とさせる役割があります。大軍で押し寄せても、一気に場内に入ることはしづらいという仕掛け。
防衛上重要な箇所には写真にあるように石垣が用いられていますが、城全体としては石垣はあまり存在しておらず、戦国時代の山城という風貌を感じることができます。


虎口をぬけると左手に大きな池のような井戸が見えてきます。
直径8mにもなろうかという井戸は籠城時の兵の水分確保に大きく役立ったでしょう。この井戸、戦国時代から今まで枯れたことがないんだとか。
山城の弱点の一つは水の確保がしづらいことですが、この大井戸があることが籠城の士気を支えたのは言うまでもなさそうですね。また、この井戸を取られると非常にまずいので、先ほどの虎口がいかに重要な防衛施設だったかということも感じられると思います。

四ツ目堀


井戸を後にして進んでいくと空堀が見えてきます。
空堀は四ツ目堀といい、主郭である三の丸、二の丸、本丸がこの堀の向こうにあります。写真の橋はその四ツ目堀にかかる「神橋」と言い、旧名「曳橋」。
当時は曳き橋(旧名そのまますぎる…)だったそうで、いざというときは橋を引き払って交通を遮断することができたとか。
城の最大の弱点は人が往来する門や橋だといわれるので、この橋が引き払えるというのも城を堅固にするのに大きな役割があったのでしょう。


こちらは神橋の上から見た四ツ目堀(北側)。
おそらく今は堀は埋め立てられて浅くなっていると思われるのですが、戦国時代のころはかなりの深さがあったと思われます。

三の丸


三の丸から神橋を見下ろした図。
その気になれば、三の丸から弓矢や鉄砲で敵を狙撃することができそうです。
三の丸には以前は賓客をもてなす応接間があったと案内板にありました。


三の丸より北側をみると、細い通り道があります。
この通り道は当時からあったのかわかりませんが、複数経路から城に入り込もうと思ってもそれぞれの曲輪が高低差を活かして阻んだのだろうという想像がつきます。

二の丸


二の丸は兵の詰所があった場所だそうで、本丸へ続く大手虎口の守備を担っていたそうです。
案内板によると「追手馬出」と記された古地図もあることから馬出曲輪としての機能も備えていたのかもしれません。ちなみに、神橋から直進して進むと本丸へ続く道があるのですが、その道をさくら馬場と呼ぶらしく、この二の丸から馬を出して主道を馬場として使っていたのかもしれませんね。


二の丸を本丸方面に進んでいくと、本丸の石垣が見えてきました。
本丸は見える範囲のほとんどが石垣で固められており、さすがに中心部は堅固だなという印象です。
しかし、山城だからなのかもしれないですが、石垣高いですね…

南城跡


二の丸からさくら馬場にでて主道から本丸を改めて目指してみます。
右手は崖、左手が二の丸となっています。
この道を進んでいくと到着するのが南城跡と呼ばれるエリアです。


南城跡は現在は神社の社務所がありますが、以前は蔵屋敷や武者詰があったとされています。本丸を守る中心部という感じですね。
この地点が脅かされるとそもそも防衛がおろそかになるということなのだと思います。周囲には石垣がめぐらされていて、かなり厳重な防衛設備が敷かれているのが分かります。
付近には南局跡と呼ばれる、奥女中の詰所もありました。

本丸


本丸を正面から見てみましょう。
本丸へ上る石段の途中から撮影した写真です。
神社となっているため、かつての戦国時代の遺構そのままではないと思われます。


本丸内部。
現在は藤原秀郷を祀る唐沢山神社の社殿が存在しています。
社殿は大きく、かなりどっしりとした威厳のある作り。

広場になっていないのでどのくらい広いかは正確にわかりませんが、これだけの大きさの社殿を建造できているということは、本丸自体も相当広いと思ってよさそうです。
写真の左側には本丸でありながらさらに土の積まれた部分があり、本丸における防衛遺構の一端を見ることができます。


本丸から二の丸を見下ろした図。
三の丸から神橋を見たときも思ったのですが、各郭の高低差が思ったよりも激しくて、非常に防御力が高いという印象があります。
こういう印象をもって体験したことが、土塁や石垣、曲輪好きになった理由でもあるんですよね~

唐沢山城歩いてみて

今まで平城を多く回っていましたが、唐沢山城を歩いてみて改めて地形を活かしたなわばりのすごさや石垣の堅牢さ、曲輪間の連携や高低差など防衛機能と平時の利用勝手など様々なことに考慮された城のあり方というのを肌で感じることができたように思います。
すっかりとこの城で土塁、石垣が好きになった(曲輪や縄張りそのものは以前から好き)ので、城の新たな醍醐味を見つけてみたい!という人はぜひ唐沢山城に足を運んでみてはいかがでしょうか。
唐沢山神社では御朱印も受け付けているようなので、御朱印集めの神社巡りとしてももってこい。軽く登山する山としても人気があるようなので、お子さん連れでの登山+城めぐりなんてのもいいかもしれませんね。

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